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 その同じ号に掲載されたのが、『「週べ」ほっとHotインタビュー』のセシル・フィルダーである。平成が始まったばかりの日本に、25歳の若さで降り立った188センチ、101キロの巨漢スラッガー。87年、88年と2年連続の最下位に沈む村山阪神の救世主として期待されたのは、ブルージェイズの4年間で通算31ホーマーを放ったフィルダーだった。

 あのランディ・バースの背番号44を託され、安芸キャンプでは場外アーチを連発。ブルージェイズ時代は控えで「試合に出られなくなってイライラし、家族にも迷惑をかけた。試合に出られる機会が与えられるから日本行きを決意したんだ。毎日出ることができるんだから……」と切実に語るも、オープン戦では変化球に対応できず“季節外れの扇風機”と酷評されてしまう。

 しかし、開幕すると4月に3本、5月に8本と徐々に本塁打を量産。6月22日のヤクルト戦では2打席連続の19号、20号を放ち、47打点とともに2部門でラリー・パリッシュ(ヤクルト)に並びリーグトップに立つ。7月には月間MVPも受賞。「クレバーな男だよ。自分で狙い球を絞るんだが、それがピタリと当たる」と石井晶打撃コーチも絶賛する男は、東京ドームの看板直撃弾や横浜スタジアムでの160メートル級の場外アーチをかっ飛ばす一方で、恐妻……いや愛妻家としても知られ、ワイフがぐっすり寝ている間に息子プリンス君(2007年にMLBで本塁打王)の朝食を作り食べさせるパパの顔も。四番を張り、“セス”のニックネームでチームにも溶け込み、特に大洋戦では16本塁打と無類の強さを発揮した。

以下、全文を読む
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190410-00000004-baseballo-base

 




【この記事への反応】

・日本で沢山打席に立つことで変化球にも対応出来るようになって成長した例だな。開幕前は大型扇風機と揶揄されてたのに大変身。本人が複数年契約望んだとされていたが球団は拒否したとの事だったが、残留の道もあっただけに勿体ない事をしたよな。

・1年だが相当印象に残った選手。
フィルダーが数年タイガースにいたら暗黒時代ばかりではなかったかもね。

・同時、フィルダーに相当な期待があったが、弱点もハッキリして、変化球でかわされ、特大扇風機のイメージが強く、そんな活躍したようには思えなかった。
バース、掛布、岡田のイメージがまだまだ強く残っている時代だったのて、本塁打も甲子園で40〜50本は、打ってくれるものだと思っていた。
翌年、メジャーで本塁打王と聞き、驚いたのと、日本のプロ野球とメジャーとは、別物なんだと関心したのと、その時の阪神が逸材を発掘していたことに、喜び、今後に期待した。

・オープン戦でさっぱりで大型扇風機と揶揄されてた
それがシーズンに入ったら段々と日本の攻め方に慣れて打ち出しホームラン王になりそうだった
水野から三振してバットを地面に叩きつけたら跳ね上がり小指を骨折して終了
そのまま帰国でメジャー復帰したらいきなりのホームラン、打点の二冠王
それもメジャーでも久しぶりのホームラン50本を超えたのは驚いた

・フィルダーさんがメジャーへ帰ってから、日米野球へメジャーチーム代表としてやってきて、「日本チームを舐めてはいけない」と口を酸っぱくして、メジャーチームの選手たちに言っていたそう。
結局、その年の日米野球は日本が勝ち越した。日米野球で日本が勝ち越したのはその時代、その年しかなかったはず。

・確か開幕カードで昔の広島市民球場のレフト上段に突き刺さるホームランを打ったと思う。我慢して使えば凄いバッターなるなと感じたけど、後で調べたら若くしてメジャーでやっていたことを知って、そりゃ凄いに決まってるわと納得したのを思い出した。

・日本で学んだのは外角球の見極めと我慢だね。
長距離打者の外国人は大体それで日本で通用するかわかるよね。

・去年のロサリオにもフィルダーのような覚醒を期待していたんだけどなあ

・オープン戦で打てないときに阪急のブーマーから足の使い方を教わった。そこから打ち出したって話もあったな。

・クリクリッとしたフィルダーの目は可愛かったのだ